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渡辺融 (官僚)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡辺融

渡辺 融(わたなべ ゆずる、1844年10月17日(天保15年9月6日[1] - 1924年大正13年)1月4日[2])は、日本裁判官検察官内務官僚。官選県知事錦鶏間祗候

経歴

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肥後国出身。熊本藩士・渡辺藤太の長男として生まれ、祖父・渡辺才右衛門の後を継いだ[1]

明治5年(1872年熊本県一等出仕となる[3]1973年2月、白川県少属に就任[4]。さらに熊本県権中属となる[1]。その後、判事に転じ、熊本区裁判所長、中津区裁判所長を歴任。そして検事となり、高知地方裁判所検事、岐阜地方裁判所検事、名古屋地方裁判所検事を歴任[3]1890年安濃津地方裁判所検事正に就任[1]。以後、名古屋地方裁判所検事正、横浜地方裁判所検事正を歴任[3]1897年12月、農商務省山林局長に就任。1898年7月5日、依願免本官となり退官[4][5]

1900年1月、高知県知事に登用された。無理な土木事業等を進めず、また中学校の増設を行った[6]1903年6月、山口県知事に転任。1912年6月、知事を辞職し退官した[1]。同年7月12日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[7]

栄典・授章・授賞

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d e 『新編日本の歴代知事』854頁。
  2. ^ 『官報』第3411号、大正13年1月9日。
  3. ^ a b c 『人事興信録』第3版、わ26頁。
  4. ^ a b 「従三位渡辺融特ニ錦鶏間祗候被仰付様宮内大臣ヘ照会ノ件」
  5. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』115頁。
  6. ^ 『新編日本の歴代知事』942頁。
  7. ^ 『官報』第8720号、明治45年7月13日。
  8. ^ 『官報』第4350号「叙任及辞令」1898年1月4日。
  9. ^ 『官報』第8021号「叙任及辞令」1910年3月23日。
  10. ^ 『官報』第1943号「叙任及辞令」1889年12月18日。
  11. ^ 『官報』第7578号・付録「辞令」1908年9月28日。

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第3版、1911年。
  • 内閣「従三位渡辺融特ニ錦鶏間祗候被仰付様宮内大臣ヘ照会ノ件」大正元年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-019-00・任B00648100